大東駿介
- 大東駿介(だいとう・しゅんすけ)
- 1986年3月13日 (現在38歳) 身長 182cm
- 大阪府堺市 出身
- 2005年日本テレビ「野ブタ。をプロデュース」で俳優デビュー
小学生3年生の時両親が離婚、母は中学生の時に蒸発そんな壮絶過去の大東駿介さんをみていきたいと思います。
大東駿介 小学生3年生の時
小学3年の頃に両親が離婚、母が近所のケーキ店のおばちゃんに、
離婚の報告をしている会話を耳にして知ったようです。
父はタクシーの運転手で、家を開ける事が多かったので
それほどダメージがなかったみたいです。
大東駿介 中学生の時の母
母は、大阪の堺で自宅の1階でクリーニング店を営み、1人で切り盛り
いつも買い物などで出かける時は、店のシャッターを半分開けた状態で出かけていた。
中2の頃から母親が店のシャッターを半分開けたまま帰って来ない日があり
その間隔は2日、1週間と広がり、最終的に帰ってこなくなりました。
高校に入学する頃に1度母に会い、
その時引越しと同居を提案されるも拒絶しています。
大東駿介 の父 俳優?
大東駿介の父はタクシーの運転手で、小学3年生の頃に離婚
父親も俳優をしていた時期があったみたいです
30歳手前になって「会おう」っと思った時には亡くなっていたことを知ったようです。
大東駿介 中学生の時どんな生活?
最初は、買ってきた牛丼や、家に残っているスパゲッティにポン酢をかけたりでしのいでたようです。
間もなくお金が底をつき、レジの残っていたお金を集め買えるお菓子を主食にしていた。
中学時、母がいなくなってお弁当が必要でしたが持って行けなくなり、
先生から菓子パンをもらったりしましたが、気持ちはありがたかったのですが、
気を使わせるのがしんどくなり中2の途中から学校に行かなくなったそうです。
鏡に向かって「殺すぞ!」
学校にも行ず、家で1人そんな日々が続くと、
話し相手もいなく、鏡に向かって
「お前、何で生きてんねん」「お前のせいで、こうなったちゃうんけ」と自己否定の言葉を投げつけるようになりました。
鏡の自分に言うしかなかったようです。
とある昼間に、感情が爆発して、鏡に向かって喉がちぎれるくらいの大声で『殺すぞ!』と叫んだこともあるようです。
孤独な生活が1年間ほど続き、中3の時に近所に住む伯母が訪ねて来て、引き取られることになりました。
学校に復帰し、高校にも進学しました。
高校卒業後「乗り越えた先の人生は楽しい」
高校卒業後は、東京に住むいとこの家に居候しながら雑誌モデルを始め
19歳で俳優デビュー。それから、たくさんの人と出会いました。
今では北海道、青森、福井、沖縄……全国に友達がいます。日本中に「お帰り」と迎えてくれる場所がある。海外にも友達がいます。
壮絶な過去からこんな景色は想像もしていなかった。本当に生きていてよかったと思っています。
『笑われるかもしれないのですが、しんどかった中学生の頃、大好きな漫画「ワンピース」の最終回を見届けずに死ねるかという気持ちもありました。
「誰かのせいで、読まれへんなんて考えられへん。意地でも生きてやる」と大まじめに思っていました。
好きなことの支えは非常に大きいです。
趣味でも夢でも何でもいいので、自分の目標に近づくためにはどうしたらいいかを考えてみてください。』
まとめ
2020年6月4日「女性セブン」の記事に妊娠が判明した一般女性と2015年12月に入籍
だが入籍するも極秘に別居婚生活をしていた
子供は3人いることも明るみに出てしまいます。
さらに、水川あさみさんとお付き合いをしていた?
過去に色々あるかもしれないですが自分も子供たちに同じ思いをさせないようにしてほしですね。
2020年4月から妻と子と5人で同居を始めたようです。
家族を大事にこれからの俳優も期待しております!